見終わった後もしばらくドキドキざわざわしてる。ドキュメンタリー見てるみたいだった。
永作博美と井浦新が演じる夫婦が養子縁組で子供を持つが、ある時突然、実のお母さんが現れる…という内容を予告からは想像できて、まぁ大筋としてはそういう内容には違いないのだが思ってたのとは違う点が多々あり、自分の想像力ってなんて乏しいのかしら…というか物語を作る人ってやっぱ凄いのよね。
(以下、ネタバレ)
最初のジャングルジム問題が育ての母と子供の間に溝を生むとか?などとつまんない想像したけどそれは全然問題じゃなかった。育ての母は強かった。育ての両親は揺るぎなくきちんと「親」だった。
ジャングルジムから落ちた子のお母さんと、ひかりの両親は血の繋がった親なんだろーけど、ヤバイな。
不妊の原因が夫。そういう事も多いとは聞くけど映画やドラマできちんとその夫の苦しみを扱ったのははじめて見た。切るんだ。そりゃしんどい。本当に苦しそうだから井浦新さんが無精子症なのかという感覚が残る(違う)。
養子縁組。親のどちらかが仕事を辞めて子育てに専念しなければならないのか。つまりそれなりの収入がある夫婦にしか出来ない。ハードル高い。
「産んだ母」と「育てる母」の格差がエグいな。
本当は「産んだ母」達が子育て出来るように環境を整えてあげられる制度があれば良いのに。「育てられない母」の中には「育てたい気持ちはあるが環境が整っていないから諦めている」がある。
子供が産まれるなんて奇跡なのに、少子化なのに。彼女達は何故隠れて産む様な事をしなければならないのか。社会がおかしい。産んだ後のフォローも何もない。
育てられなかった子の事情については想像してたつもりだったけど全然だな。皆に隠して産んで、何事もなかったかのように受験勉強して高校行って…なんてそりゃ気持がついていかない。そもそもきちんと話し考え納得してヘビーバトンに行った訳ではないし。家族も彼もその置いてけぼりの気持ちを全く受け止めてくれていない。
ところであの中学生の告白、呼び出した男が友達連れてきてるのずるいよね。勝手に着いて来たとか言うだろうけど、時間と場所教えてる訳ですよ。呼び出された女の子は一人。ズルくない?男子中学生。告白するなら友達に場所も時間も教えずに一人で来いよ…って思う。こーいうシーン、よくあるけど。
あと親戚の集まりにいる無神経な叔父さん。いるねいるね。あのシーンでは大学生になったお姉ちゃんがすごくうすっぺらく見えた。何なんだろ。
実の母が「子供を返して」とやって来るというと、私の中では余貴美子のイメージ。仕事は水商売で自分勝手な性格。そーいう役の余貴美子は好きだけど、「育てられなかった母」の現実はそうじゃないって頭の中書きかえなければ。
ベビーバトン 、代表者が仕事できなくなったら終わり、、って、個人の非営利団体の限界だとそうなってしまう。でもそれじゃアフターケアできないし個人データはどうなるの?国がきちんと責任もって継続して行うべきでしょこういう事は。
新聞屋のおじさん、いい人で良かったねー。そーいえば新聞が来ていないという連絡もらった時、ひかりが責められるかと思ってドキドキしてたら「誰かが盗んじゃったのかなー」って言っててホッとしたのよね。人柄ってそういう所に出るんだな。
「育てられなかった母」の蒔田彩珠さんすごく良かった。彼女が主演?って思うくらい。「八日目の蝉」の永作博美、「セカチュー」の長澤まさみ、的なヤツだな。今年の最優秀助演女優賞は決まりだね。(私の中で)
(追記)
やっぱりね、子供を産んだら母親になるのではなくて、育てながら母親になっていくんだなぁと。文字にしてしまうと当たり前だけど、後になって改めて思う。「八日目の蝉」で永作博美が演じた女性がまさにソレだった。で、この「朝が来る」では、そのことを表すのに時間かけてない。だって、永作博美、自分の子じゃなくても全然まったく関係なく普通にお母さんだったもん。知ってる知ってる。(違う映画だけど)
「八日目の蝉」も「朝が来る」も、育ててない母は実の母でも母になりきれてないのだよね。
もちろんお腹の中にいるときはお母さんなんだけど、妊婦としての母と産んでからの母は違うものなのだな。妊婦としての母は序幕にすぎなくて、産んでからが本編だし。
※ 以前、noteに書いていたものをちょっと手直しして転載。