「余命わずか」と「母の愛」という私が苦手なワードで語られる事の多い映画だったので全然見る気してなかったのだが「浅田家」が面白かったので、ネトフリで観ることにした。そういえばオダギリジョーだし。
以下ネタバレ
「余命わずか」というのはまぁ、それきっかけで本人がやるべき事を短期間にこなしたという事でそれがメインのストーリーではないよね。「余命わずか」だから周りが変わったという訳ではない。オダギリジョーが頼りになるお父さんになるわけでもなく、娘達もその母の勢いに呑まれ成長のきっかけを得た。旅先で倒れる前までは病気の事は知らなかった訳だし。
母としては、もっと早く探偵さんに頼めば良かったし、娘に対してはそれまでちょっと甘やかしてしまっていた。余命わずかと知るまでは毎日の生活に追われるだけで前に進んではいなかったのだよな。
「母の愛」って事では、ヒッチハイク青年や探偵さんとの距離が近すぎる点はどうかと思ったけど、心に隙間がある人にとっては有難いものなのかな?これについてはよくわからない。
実の母に会えない展開、容赦ねぇなぁと思ってたら何か投げつけたりしてて、良い話でまとめない方向性には好感がもてる。
やっぱり血の繋がったお母さんが一番…みたいな話を真っ向から否定してくれてる。
いじめの対応については疑問は残るけど、あんな風に脱がれたらあいつヤベェ奴だ…って事でいじめられなくなる事もあるかもしれない、たしかに。
なかなか突飛なストーリーだと思うんだけど…最後なんてちょっと狂ってるし。最後のタイトル、焔モユル味があったよ。これを「泣ける映画!余命わずかの母の愛!」みたいに紹介するのはどーなんだろう。違くない?
余命わずかだっていうからできる限りやりたいこと全部やったよ憂さ晴らしもしたよ(蟹のお母さん殴った件と実の母のガラス割った件)だって周りの皆が頼りないんだもん、あとちょっと面倒な事頼んだ、法に触れるかもしれないけどね、テヘッ、じゃあね!
…という感じだよね双葉さん。
昨年癌で亡くなった友人は、どーだったのかな。コロナだからとお見舞いを遠慮しているうちに逝ってしまった。入院先で動画見たいけど通信料かかっちゃうよねーなんて、さほど動画見る気もなくて言ってるならいいけど、治療で大変な思いしてるのにさ。あの時すでに余命宣告はされていたのだろな。通信料なんて気にしなくていいじゃん。わがまま言えたのかな。会いたい人には会えたのかな。